北大の博士課程を早期修了した電気化学系企業研究者かめ (一年目) です。北大の博士課程修了後、地元の広島へUターン就職しました。会社員として人生をリスタートするなら地元から始めたいと思っていたのです。幸い、地元に自分の研究分野の知識を活かせそうな魅力的な企業があり、D1の1月に応募して翌月に内定を頂きました。
我が地元・広島にはプロスポーツチームが沢山あります。私はその中でもサッカーチーム「サンフレッチェ広島」の大ファン。地元で過ごしていた高校時代までは広島カープのファンでした。大学進学と同時に札幌へと移住し、DAZNを契約したものの、DAZNでは放映権の都合でカープの中継を見られないと知って愕然。DAZNで広島関連のスポーツはサンフレッチェしか見られません。消去法的にサンフレッチェを観ることになったわけですが、いつの間にか魅力に気付き、ドハマりしてしまいました。
この記事では、自分にとってサンフレッチェ広島とはどのような存在かを解説します。
父との親子関係を修復してくれたかけがえのない存在
生まれてから大学へ進学するまでの間、父と親しく会話をした記憶が残っていません。いつも叱られてばかり。『お前は○○だからいけないんだ』と否定され、時には頭を叩かれていました。父は東大の工学部出身。私は一浪して北大へ合格するのがやっと。父と比べて自分が圧倒的に不出来な自覚がありました。東大出身の父からすれば”とんだバカ息子が生まれてしまったものだ”と思っていたのかもしれません。どれだけ父から叱られたとしても父の方が正しそうに思えました。何かひと言でも言い返してやりたかったけれども、相手の方が理屈が通っているので何も言い返せませんでした。
正直、父のことが嫌いでした。「あのクソ親父!絶対に見返してやるからな(到底かなわないけど…)」といつも一人でぶつぶつ呟いていたぐらいに。進学費用や習い事にかかるお金を稼いできてくれたのには深く感謝しています。けれども、だからといってあそこまで否定ばかりしなくても良さそうなものじゃないか、、、と。北大進学で札幌へ移住し、父と距離を置けたことにホッとしました。しかし、広島帰省のたびに顔を合わせるわけだから、札幌移住は親子関係の根本からの修復には至りません。
大学進学後からDAZNでサンフレッチェの試合を観始めました。サンフレッチェのことが好きになり、札幌へサンフレッチェが試合に来てくれるときは応援へ行くように。実はサンフレッチェは父親も大ファン。J1開幕以来、20年以上サンフレッチェを応援し続けている超古参。学部一年次の夏休み、実家へ帰省した時、サンフレッチェの話題を口に出してみました。今までなら全く会話が盛り上がらかったにもかかわらず、サンフレッチェのことなら和気あいあいと話せたのです。サンフレッチェが互いの心の距離感を縮める糸口になりました。サッカー関連の話をした勢いで大学生活や趣味のランニングのことなどでも盛り上がりました。
一年次の夏、喉が枯れるぐらい父と長~く会話ができました。おかげで今まで大嫌いだった父が嫌いではなくなったのです。私にとってサンフレッチェとは、親子関係を修復してくれたかけがえのない存在。父との心の架け橋に、融和剤になってくれた重要な存在です。もしもサンフレッチェがなければ未だに父と不仲だったかもしれません。自分と父が両方とも生きている間に関係を修復できて本当に嬉しかった。サンフレッチェ、ありがとう。
【ルヴァンカップ優勝】コロナ騒動中における唯一の希望
2020年から2023年まで、四年間、全世界をコロナ騒動が襲いました。マスクで顔を覆うことを義務化されたり、CMや同調圧力で半強制的に得体の知れないmRNAワクチンを打たされそうになったり。道を行き交う人がみな下を向いて無気力な顔をしていた。ソーシャルディスタンスや外出自粛だなんて言われて人同士の距離がどんどん広がって悲しかったです。私自身、2020年4月から大学の研究室での活動が始まりました。しかし、研究室のボスから『用のない時は大学へ来ないで』『極力自宅で過ごすように』と言われ、同世代の人間とのコミュニケーションの場を失ってしまいました。こんな虚しい時間が永遠に続くなら生きている意味が分かりません。なんのために生きていくのだろう?私は家畜?税金を政府へ払い続けて死ぬまで搾り取られていくのだろうなぁ…
コロナ騒動の間に正気を保っていられたのは、DAZNでサンフレッチェの試合を観ていたからです。平日は家で論文や教科書を読んで研究知識を蓄え、週末はネットでサッカー観戦して気分を慰めました。家で過ごす時間がどれだけ単調でも、週末のサンフレッチェがあったから耐えられた。土日の試合が終わって平日が来れば「次の試合まであと〇日…」とカウントダウンを始めて憂鬱な気持ちを抑え込む。サンフレッチェがいくら連敗しても全然気になりません。大好きなサッカーチームが頑張っている姿を見られるだけで十分嬉しかったから。
サンフレッチェから特に元気をもらったのが2022年。この年は、サンフレッチェがクラブ創設以来、初めてJリーグカップのタイトルを獲った年。サンフレッチェはタイトル獲得の一週間前に天皇杯決勝で敗れました。横浜で行われた天皇杯決勝を私と父とで応援に行ったものの、PK戦の末に敗れ、意気消沈して各々の家へ退散。天皇杯から一週間後、今度は東京の国立競技場でJリーグカップの決勝戦。親子ともに敗北に懲りず、二週連続でカップ戦決勝を現地観戦。チームにも一週間前の敗北のダメージがあったのか、後半アディショナルタイム突入まで0-1で負けていました。そこから外国人選手の2得点で大逆転して勝ちを収めました。嬉しすぎて号泣したぐらい。こんな凄い試合を見せられたらチームがもっと好きになっちゃうじゃないか。
コロナ騒動期間中、喜怒哀楽を味わわせてくれたのはサンフレッチェだけ。毎週の試合で勝ったり負けたりして気分に波を作り、人間らしさや感受性などを色褪せさせず保たせてくれました。カップ戦の決勝まで二度も進んでくれた。サポーターとして優勝の歓喜と震えんばかりの感動も味わわせてもらえた。サンフレッチェはコロナ騒動期間中における唯一の希望。サンフレッチェがいてくれたおかげでコロナ騒動をどうにか乗り越えられました。
英国留学中における心の支柱
博士課程一年次の10月から四か月間、イギリスのオックスフォード大学へ研究留学に行きました。このたびの留学をキッカケに将来的な海外就職への足掛かりを得る作戦。ところが、留学先のラボがとんでもない地雷系研究室でした。実験装置が全て壊れている。注文した実験試料が3か月かかってもまだ届かない。研究室HPに10人以上いると書かれていたメンバーがみな数年前に卒業していた。おまけに、研究のことで研究室のボスと相談したくても、肝心のボスがいないから相談できない (メールも完全無視) 。渡航費や滞在費、オックスフォード大学への在籍料で200万円以上費やしました。全て自腹。巨額の支出をした報いとしてはあまりに悲しすぎる扱い。
お金も時間も無駄になった英国留学期間中、心を病んでしまいそうでした。一日でも早く帰りたくてたまらなかったです。曇りがちなイギリスの天気が自分の気分下降へ拍車をかける結果に。ストレス過剰でクリスマス直前に口から血を吐いたぐらい。そんな中でも帰国日までどうにか耐えられたのはサンフレッチェのおかげ。イギリスで日本のDAZNは映りません。試合をライブで見られない分、SNSでサンフレッチェの試合速報を追い、勝って喜ぶのを唯一の楽しみにしていました。YouTubeでチームのインサイド動画を観るときはいつも涙目。「絶対に生きて現地観戦するんだ。それまで死んでたまるか」と気力を振り絞られました。
サンフレッチェは心の支柱。今後、留学や仕事の長期出張で海外へ飛ぶ時はサンフレッチェを心の支えにしていくのでしょう。
自分にUターン就職を決断させた新スタジアム
博士課程一年次の3月、広島市のど真ん中にできた新スタジアムへ観戦に行ってきました。試合は鳥栖に4-0で勝利。最高でした。これ以上ないぐらい完璧な試合運び。
試合内容もさることながら、スタジアムのあまりの素晴らしさに圧倒されました。立地、動線、音響、客席からの眺め… どれをとっても何ら文句がありません。おまけにサンフレッチェは日本有数の強豪チーム。広島、最高じゃないですか。こんな素晴らしいスタジアムで日常的に試合を観られるだなんて。サンフレッチェ観戦の好きな自分にとって、サンフレッチェのホームタウンで暮らすのはこの上ない幸せ。就職するなら広島が良い。この新スタジアムへ通い詰めてサンフレッチェを応援したい。
私が広島へのUターン就職を決断した大きな要因にはこの新スタジアムがあります。会社で何かやりたいことがあったわけではなく、サンフレッチェのホームゲームを毎試合観に行きたいから広島への就職を決めたのです。
最後に
自分にとって「サンフレッチェ広島」は色々な意味で大切な存在。これからもクラブのファミリーとして苦楽を共に分かち合いたいです。たまにタイトルを獲って頂いて歓喜を味わわせてもらえればと思います。いつまでもJ1の舞台で、広島で輝きを放ち続けて欲しいです。就職後、お金に余裕があればACL遠征で海外にも行ってみたいな。サンフレッチェの試合にかこつけて仕事をサボって世界各国を旅行出来たら最高ですね^ ^
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