【脳力革命】漱石全集を二回読破した理系院生が語る全集完読の効果

北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2) です。学士・修士・博士課程で夏目漱石全集を一度ずつ完読しました。メルカリにて9,000円で岩波文庫の旧字体版漱石全集を購入。漱石さんの文体が自分に合っていたのでしょう。全集を読み始めてから読み終えるまで一度も投げ出したいと思いませんでした。文学全集を読み耽る学生は今や絶滅危惧種。まして、私のような理系学生が全集を何度も読んだケースは日本でも数例ぐらいしか無いのではないでしょうか。

読了を重ねるごとに、まるで脳が進化を遂げたかのような感覚すら覚えました。この記事では、漱石全集を読破することで得られた具体的な効果について、詳しくお話ししたいと思います。

  • 全集に挑戦してみたい方
  • 何となく文学全集に興味がある方

そんな皆様に向けて、私の体験をお伝えできればと思います。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

作家の思考回路が受け継がれる

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全集を読むという行為は、一人の作家の筆跡を丹念に追う静かな営みです。その道のりは短くても数か月、長ければ数年に及びます。多くの作家は、時代とともに作風を変化させていきます。漱石もまた然り。前期三部作(『三四郎』『それから』『門』)と後期三部作(『彼岸過迄』『行人』『こころ』)では、まるで別の作家の手になるかのような違いを見せます。特に修善寺での喀血体験以降、漱石の筆致は一層繊細さを増し、内面描写は深みを帯びていきました。全集を読むということは、つまり作家の人生そのものを追体験すること。彼らの精神の軌跡を辿りながら、一字一句に込められた思いを感じ取っていくのです。

一人の作家の文章に長期間向き合っていると、不思議なことが起こります。知らず知らずのうちに、その作家特有の思考パターンが読者の中に根付いていくのです。私の場合、日常の些細な出来事に対しても、漱石のような皮肉めいた視点や、世間との適度な距離感を持って観察する習慣が身についてきました。自分本来の視点に加えて、漱石という異なる視座を獲得したことで、物事をより多角的に捉えられるように。その結果、判断の精度が確実に向上したように感じています。

知的体力の飛躍的な向上

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文学全集は圧倒的なボリュームを誇ります。一冊で数百ページ、一巻の重さは中型の辞書に匹敵するほど。これを何十巻も読破するとなれば、並大抵の覚悟では太刀打ちできません。三島由紀夫全集などは優に30巻を超えます。私が選んだのは旧字体版の漱石全集。ルビこそ振られているものの、馴染みの薄い文字の連なりと格闘する日々は、想像以上に体力を消耗するものでした。明治・大正期の文体は現代とは大きく異なり、語彙や表現の一つ一つが新鮮な驚きとともに、確かな抵抗感を伴うものでした。

しかし、全集との対話を諦めることなく続けていくと、ある瞬間から様相が一変します。文豪特有の文体も、旧字体も、次第に親しみのあるものへと変わっていく。読書のスピードは驚くほど上昇し、理解の深度も増していきました。私の場合、全18巻中の7巻目あたりで転機が訪れました。それまで格闘していた文章が、現代小説を読むかのように自然に頭に入ってくるようになったのです。時には「なるほど、そう来たか」と作中人物の行動に微笑みを禁じえず、「ここはもう一歩踏み込めただろう」と余裕すら覚えるようになりました。そう、知的体力が飛躍的に向上したのです。耐力が上がったおかげで肩の力を抜いて楽に文章を読めるようになったのでしょう。

全集読破の過程で養われた知的体力は、研究活動にも直接的な恩恵をもたらしています。何時間にも及ぶ論文精読も、長時間の執筆作業も、今では日常の一部として淡々とこなせるようになりました。全集読破という営みは、確かに過酷な知的トレーニングです。図表という視覚的補助のない、純粋な文章のみから著者の意図を読み解く作業は、研究論文を読む以上に繊細な注意力を要します。だからこそ、全集を読破した経験は、知的持久力の向上に大きく貢献したのだと実感しています。

仕事の行き詰まりを感じている方へ、一つの提案をさせていただきます。一度、お仕事から距離を置いて文学全集に挑戦してみてはいかがでしょうか。その経験は、必ずや研究への新たな視座を開いてくれるはずです。

長編作品との新たな出会い

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文学全集の規模は、一般的な長編小説の比ではありません。漱石全集は、世界最長の小説として知られる「失われた時を求めて」の数倍の分量を誇ります。「千夜一夜物語」と並び、「資本論」をも凌駕する可能性すらある壮大なスケール。そんな全集と向き合った後では、かつて途方もなく長いと感じていた「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」が、むしろ親しみやすい作品として映るようになりました。「全集と比べれば短いではないか。一月もあれば読めるだろう」—そんな思考が自然と芽生えてくるのです。

全集読破の経験は、あらゆる長編作品に対する心理的障壁を取り払ってくれました。重厚な作品群との真摯な対話を通じて得られた自信と、磨き上げられた思考体力が、新たな読書の地平を切り開いてくれたのです。今では、数巻から成る長編小説などは、むしろ気軽な読書材料として楽しめるようになりました。私自身、学部三年次に「カラマーゾフの兄弟」で経験した挫折を、漱石全集読破後の四年次に見事に克服することができました。修士課程では「戦争と平和」を完読。将来は「失われた時を求めて」にも挑戦しようと考えています。

まとめ

文学全集との真摯な対話は、単なる読書体験を超えた知的変容をもたらしました。作家の思考様式を体得し、独自の視座を獲得することで、物事を多角的に捉える力が養われたのです。さらには、膨大な文章量との格闘を通じて、知的持久力が飛躍的に向上。この経験は、研究活動における論文執筆や文献講読にも確かな効果をもたらしています。何より、文学全集という巨大な知的航海を完遂したことで、あらゆる長編作品に対する心理的障壁が取り払われました。文学全集は、読書という知的営為の新たな地平を切り拓く、かけがえのない道標となったのです。

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この記事を書いた人

1997年広島生まれ。北海道大学大学院博士後期課程にて電池材料研究に従事。日本学術振興会特別研究員DC1。オックスフォード大学での研究経験を持つ。
漱石全集やカラマーゾフの兄弟など純文学を愛す本の虫。マラソン2時間42分、岐阜国体馬術競技優勝など、アスリートとしての一面も。旅行とナンプレとイワシ缶も好き。

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