三島由紀夫『潮騒』レビュー|海から響き渡る若者たちの恋歌を聴け

三島由紀夫の『潮騒』を読み終えた時、不思議な静けさが心を満たしました。それは、夏の海に身を浸したあとのような、清々しい余韻です。しかし、その静けさの底には、人間の心の深淵を覗き込んだような戦慄も潜んでいます。

物語は一見、伊勢の離島「歌島」を舞台にした、若き漁師の新治と、島一番の船主の娘・初江との初々しい恋を描く純愛小説に見えます。でも、その単純な筋書きの奥には、人間の魂の根源的な営みが隠されているのです。波が寄せては返すように、物語は私たちの内面に絶えず新たな問いを投げかけてきます。

三島がこの物語を通じて描き出す「個」と「共同体」の関係性は真新しいものです。歌島という閉ざされた空間は、そこに生きる人々の魂の在り方そのものを規定しています。新治と初江の恋は、そうした共同体の制約と個人の情念との葛藤の中で、静かに、しかし確実に育まれていきます。それは、現代を生きる私たちの孤独と連帯の問題にも、深い示唆を与えているように思えます。

目次

初恋の記憶のように

新治と初江の恋は、一見すると誰もが心の奥底にしまっている「初恋」の原風景のように見えます。しかし、その実態は遥かに複雑な精神の営みなのです。二人の出会いから始まり、お互いを意識し、想いを募らせていく過程には、確かに胸が締め付けられるような懐かしさがあります。同時に、そこには人間の意識と無意識が織りなす不思議な綾も見て取れるのです。

印象的なのは、新治が初江の姿を一目見ようと、毎朝のように見晴らし台に通う場面です。まだ言葉を交わしたこともない相手に向けられた、純粋で一途な想い。それは単なる恋心以上の、人間の魂の根源的な衝動を感じさせます。なぜ私たちは、相手の姿を見ただけで心が揺さぶられるのでしょうか。そこには、理性では説明のつかない「心」の神秘が潜んでいるのです。

海と共に生きる人々

『潮騒』を読み進めるうちに、私は次第に歌島の空気そのものを呼吸しているような不思議な錯覚に陥りました。潮の香り、波の音、島の人々の温かな気配が、まるで目の前にあるかのように鮮やかに立ち現れます。しかし、この感覚は単なる文学的想像力の産物ではないのです。そこには、人間と環境との深い相互作用が存在しています。

歌島の人々にとって、海は単なる生活の場ではありません。それは彼らの意識を形作る母胎であり、存在そのものを規定する絶対的な存在です。新治が海に潜る場面の描写は、そのことを如実に物語っています。透明な水の中で、彼は母の胎内にいるような安らぎを感じます。この描写に触れた時、私は思わず息を呑みました。そこには人間存在の根源的な在り方が、きわめて象徴的な形で表現されているからです。

さらに興味深いのは、この海との一体感が、新治の社会的成長と密接に結びついている点です。彼は海に潜ることで、単に真珠を採取するだけではありません。その行為を通じて、彼は歌島という共同体における自己の位置を確かめ、同時に初江との関係性をも深めていくのです。つまり、海は彼にとって自己実現の場であると同時に、社会化の装置としても機能しているのです。

純粋であることの勇気

現代を生きる私たちにとって、「純粋さ」は時として重荷になります。世知辛い世の中で、素直に感情を表現することは、ある種の勇気を必要とするのです。しかし、その背後には、より本質的な問題が潜んでいます。それは、近代社会における「自己」の在り方そのものに関わる問題なのです。

新治と初江は、この問題に対して独自の解答を示しています。彼らは確かに迷い、躊躇し、時には社会の規範との軋轢に苦しみます。しかし、その過程で彼らが見せる「純粋さ」は、単なる無垢や無知とは異なるのです。それは、自己の内面と向き合い続けることで獲得された、一種の精神的な強さなのです。

心に残る風景

『潮騒』を読み終えて、しばらくは本を閉じることができませんでした。それは単に物語に感動したからではありません。最後のページを閉じた後も、歌島の風景が心に波のように寄せては返すその感覚の中に、人間の意識と記憶の本質に関わる何かが潜んでいるように思えたからです。

注目すべきは、この作品における「風景」の二重性です。歌島の自然や人々の営みは、確かに客観的な描写として提示されます。しかし同時に、それは登場人物たちの内面性の投影としても機能しているのです。海の深さは新治の心の深さと呼応し、波の律動は初江の心の揺らぎと共鳴します。

新治と初江の純愛は、確かに現代的な視点からすれば素朴に過ぎるかもしれません。しかし、その素朴さこそが、私たちの心の最も深い層に眠る「根源的な感性」を揺り動かすのです。それは、失われた純粋さへの単なる郷愁ではありません。むしろ、現代を生きる私たちの内面にも確かに存在する、永遠の真実性への気づきなのではないでしょうか。

永遠に響く潮騒

この小説が今なお多くの読者の心を捉えて離さない理由は、単にその普遍的なテーマ性にあるのではありません。むしろ、作品が提示する「存在の真実性」そのものに関わっているのです。初恋の痛みも喜びも、希望も不安も、すべてが眩いばかりの輝きを放つのは、それらが人間存在の本質的な様態を照らし出すからです。

海の声が聞こえます。それは、私たちの存在の最も深い層で永遠に響き続ける潮騒の音なのかもしれません。その音に耳を澄ませることは、すなわち自己の存在の真実性に向き合うことなのです。

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この記事を書いた人

1997年広島生まれ。北海道大学大学院博士後期課程にて電池材料研究に従事。日本学術振興会特別研究員DC1。オックスフォード大学での研究経験を持つ。
漱石全集やカラマーゾフの兄弟など純文学を愛す本の虫。マラソン2時間42分、岐阜国体馬術競技優勝など、アスリートとしての一面も。旅行とナンプレとイワシ缶も好き。

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